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BrainScience&Math

脳科学と数学

この文章を書いたのは?

慶應義塾大学理工学部・准教授

牛場 潤一

数学と私–脳科学と数学

私はヒトの脳の研究をしています。

brain_eye脳という臓器は、歳をとっても、あるいは脳卒中などで大きな傷ができたとしても、能力が再生するような環境に置いてあげさえすれば、だんだんと脳情報の流れ方をチューニングし直したり、新しい脳情報の流れ方を覚えたりします。

こういう仕組みのことを「可塑性」と言います。
可塑性をもたらす原理を見つけ出すことができれば、今までの医療では治療することを諦めていたようなタイプの精神・神経疾患を治すことができるようになるかもしれません。次代の医療は医学部からだけではなく、理工学部からも創出できるんだ、ということが示せたら最高だな、と日々考えながら研究に没頭しています。

ところで、私たち「ヒト」を対象とした研究の難しさは、2つあります。
1つは、「ヒトには大変なことをさせられない」という点です。
失敗したら怪我をしてしまうような実験をやらせるわけにはいきませんし、データをたくさん録りたいからといって、ヒトを何時間も拘束し続けるわけにもいきません。
そうすると、私たちが記録できるデータセットは、ほんのすこししかないのです。

もう1つの難しさは、「計測されるデータそのものの種類は莫大になる」という点です。
先ほど述べたように、ヒトの実験ではあまり多くのデータセットを集めらることができないので、
「せっかくの実験だから、脳波も筋肉の信号も心電図も発汗量も行動データも、あれもこれも取っておこう」
という心理が働きます。さらには最近、計測技術が高度になったので、この10年で脳波計は10チャンネル程度だったものが200チャンネルを超える時代になりました。また、MRIを使えば、脳の深い部分も含めて1mm3の刻み幅で脳を分割して、12万個以上もの脳データが同時に計測できます。

つまり、私たち「ヒトの脳を科学する研究者」が置かれている状況はこうです。
変数(計測しているデータの種類)は大量にあるのに、それらの関係を明らかにするための方程式(データセットの数)が少なすぎるー
連立方程式が一意に解けない「不良設定問題」が、私たち脳科学者の目の前に横たわっているのです。

これに立ち向かうには、2つの力が必要です。brain_mask
ひとつは、若いうちから数学と友達になること。
数学は抽象的で、イメージがわかないからとっつきにくい、と思うのなら、
まずはさきほどの話のように、脳や経済などの具体的な内容とリンクさせながら慣れていってはどうでしょうか。
(脳科学にまつわる数学の話を聞きたい方は、遠慮なくご連絡を!)
やっていくうちに、だんだん、数学の持つ抽象性の素晴らしさに気づくようになってくるはずです。

ひとたびそれがわかってくると、いろいろな現実問題を数学の力によって手なづけることができるようになってきます。一見すると違うような現象でも、数学を通じてみてみると面白い共通性が潜んでいて、世の中の仕組みの不思議さに感動することがあります。
あるいは、脳科学の新しい問題を解こう、となったときにも、これまで身につけてきた数学が武器になって、おおよその解き方がイメージできるようになり、必殺仕事人(!)のようにたくましいアナリストになれます。

もうひとつ必要な力は、脳そのものをよく理解すること。
理解したいと思う対象には、その対象物固有の癖があります。
泥臭くいろいろなことを体験して、その癖を肌感覚で理解しておくことは、
数学を通じて現象をモデリングするときにとても大切です。
その「癖」を利用して、制約条件や事前分布を上手に与えれば、
解き方がグッと現実的になります。
まともには解けない不良設定問題であっても、現実的に起こり得る解だけを上手に取り出してくることができるのです。

いかがでしょうか?brain_milk
数学を通して世の中を見つめる力がつけば、
自由な視点と思考が手に入ります。
自然や人間社会のさまざまなことが
いままでと違う質感をもって感じられるようになり、
とてもロマンチックな気分に浸れます。
(普通、数学にはカタブツなイメージがあって、逆だと思うでしょう? いやいや、ロマンチックなんです)

さらには、これまで述べてきたように、経験主義的に発達してきた医療を数学の視点から捉え直すことで、高齢社会で急務とされる「脳の病気の治療」を創ることすら可能なはずです。

こうして数学は、私たちに自由な思考を与え、
新しい世の中を創る力を与えてくれるのです。
僕はそんな数学が、最近とっても大好きです。
(小学校から大学まで、数学の成績はずっと悪かったのに、、、!)

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※2016年3月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。

著者略歴

慶應義塾大学理工学部・准教授
牛場 潤一
1978年、東京生まれ。
吹奏楽部やファンクバンドに所属して、ピアノやトランペットを演奏しながら高校時代を過ごす。数学や物理よりも国語が得意な文系人間だったが、脳のふしぎに魅せられて、理系の道に進む。大学院に進むまで理系科目は大の苦手だったのに、研究上どうしても統計数学を扱わなくてはいけなくなり、あわあわする。3ヶ月間、高校時代に使った数学A, Bを片手に数式をこねくり回した結果、なんとかして導いた解法を統計数理研究所の教授に認められ、「数学って面白い!」とビビッとくる。結局、生まれて初めて書いた学術論文は「神経活動データの統計処理手法」。苦手意識は後からでも克服できるんだ、、、と自分で自分に驚きながら、脳科学研究の道をひた走る。

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