key

WORLDis DescribedInMathematics

この文章を書いたのは?

大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部 空間デザイン学科教授

赤井 愛

盲導犬と数理モデルとプロダクトデザイン

こんにちは。私の仕事はプロダクト=製品のデザインです。デザインという言葉が示す範囲はとても広いのですが、私はその中でも、視覚障がい者/児のためのプロダクトや、ユーザの“心地”に着目したデザインに取り組んでいます。
私自身は学生時代からずっと数学や物理に苦心してきたので、数学について語れる人間ではないのですが、今回は、プロダクトデザインのプロセスの中で数理的なアプローチに出会った出来事についてお話をさせていただきます。

 

皆さんは盲導犬が仕事をしている風景を見た事がありますか?仕事中の盲導犬は必ず胴輪とハンドルから成る『ハーネス』を装着しています。ハーネスは盲導犬ユーザ(以下ユーザ)が盲導犬から様々な情報を受け取り、彼らの安全な歩行を支える大切なツールです。このハーネスはとても合理的なデザインで、日本でも戦後導入されてから長く形を変えることなく活用されてきました。しかし課題もあります。U字型のハンドル中心部分を持つ正しい保持姿勢は肘を張った状態になるため、ユーザによっては上半身への負担が大きく、疲れてしまいます。腕を下ろした楽な姿勢でハンドルを持つと、今度は盲導犬がユーザ側に引っ張られる形になり、盲導犬の負担が大きくなってしまいます(図1)。それでは、どんなハンドルであればユーザも盲導犬も快適に歩くことができるのでしょうか?

 

兵庫盲導犬協会からこの課題をいただき、空間デザイン学科の同僚である白髪誠一先生と学生たちと一緒に解決を目指すことになりました。白髪先生は建築の鋼構造をメインとする、構造デザインの専門家です。盲導犬の歩行の様子の観察やユーザへのヒアリング調査を通して、持ち手部分をユーザ側に寄せた十手のような形状が良いのでは、というアイデアにたどり着きました。
ところが直線で構成された十手状のハンドルは、ユーザは自然な歩行姿勢に近づくのですが、盲導犬にとってはユーザに近い方の肩に負荷が集中してしまうという問題が発生します。この問題に対して「持ち手側の形状を曲線にすることで、盲導犬の両肩にかかる負荷を均等にできるのでは」と考え、曲線と直線で構成されたプロトタイプ(試作)を制作しました。歩行実験等を通して、曲線を用いたハンドルは、盲導犬の両肩へのバランスが良さそうだという結果を得ることができました(図2)。

 

では、どのような曲線が最適なのでしょうか。私が通常行うデザインプロセスでは、複数のモデルを制作し、ユーザへの印象評価等から形状を絞り込み、改善していきます。ところが今回の相手は盲導犬ですので、回答をもらうことはできません。また、無限にある曲線の中から適したものを選ぶにはどうしたらよいのでしょう。
ここで数理の登場です。白髪先生が応力解析によって盲導犬の左右の肩にかかる負荷が均等になる形状を検討し、解となる形状を導いていく様子に、私もゼミの学生たちも、おおー美しい…!と声を挙げてしまいました(図3)。

 

それをもとに制作されたのが、この『y字型ハンドル』です(図4)。その後さまざまな検討を経て、現在、何人かの盲導犬ユーザがこのy字型ハンドルを使用しておられます。

プロトタイプの評価による改善とは異なり、数多ある可能性の中から最適なものを選び出し制作につなげる経験は非常に新鮮で、それがシミュレーションだと言われればそれはもう本当にその通りなのですが、数理モデルが目の前の盲導犬とユーザとものづくりを綺麗に結んでいく様子、「試行の軌跡を式で表現し、解を導くことができる」ことの実感に、目から鱗がポロッと落ちるような感動がありました。数学を愛する人たちは、日々こういう感動と出会っているのでしょうか、羨ましいです。

 

※2025年5月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。

著者略歴

大阪工業大学ロボティクス&デザイン工学部 空間デザイン学科教授
赤井 愛
筑波大学芸術専門学群卒業、同大学院デザイン研究科修了。松下電工株式会社(現パナソニック)を経て2009年より現職。猫と金魚とメダカと二児の母。

SNS Share Button