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この文章を書いたのは?

レーゲンスブルク大学 研究員、慶應義塾大学 訪問研究員

Veronika Ertl

数学のおかげで出会うことが出来た私たちの興味深く美しい世界(Part 2)

このようにして私は大学 へ行くことになったのです。ユタ州の州都、ソルトレイクシティーの知識など全くなく、友達にユタ州に行くことを最初に話した時には「モルモン教徒の州に行くんだ!」と言われました。確かにユタ州はその様に呼ばれることがあるけれど、決してそれだけの州ではありませんでした。

アメリカ合衆国のユタ州に引っ越しをし、人生2度目の大きなカルチャーショックを受けました。それまでにも海外の友達はたくさんいましたが、アメリカでの生活がこんなにもヨーロッパでの生活と違うとは想像もつきませんでした。周りが私を ”どんな人” と見るかが変わるのも興味深かったです。ミュンヘンに引っ越した時は ”田舎から出て来た小娘”、パリでは ”ドイツからの人”、そして今度ユタ州では ”ヨーロッパの人” というようにです。大学のみんなは私を温かく受け入れてくれました。当初慣れなかったことといえば、相手が教授であろうが事務員であろうが皆ファーストネームで呼び合うことでした。

博士課程のコースには他にも留学生がたくさんいて様々な国やその文化について学ぶ機会があり、大変興味深く楽しいものでした。食についての話題はいつも私たちにとってとても重要でした…特にホームシックになった時などは大好物の懐かしい味を思い出したりして乗り切ったものです。時にはなんとか材料を手に入れ、皆でそれぞれのお袋の味を再現して分け合ったりもしました。

アメリカ合衆国はたくさんの対照的な部分を持つ国です。貧困と極度の富、そして最高に美しい自然や景色と、世界でも有数の汚い街が同時に存在します。数学の研究集会やワークショップに出席し、アメリカの様々な知られざる地方や地域を知る機会に恵まれました。プリンストン高等研究所主催の整数論を研究する女子向けのワークショップの、とある講演者が言っていたことが印象的でした。数学のワークショップや学会に参加すると世の中で一番好きな数学を一日中していられるので、まるで好きなことばかり出来るバカンスのようで大好きだと言うのです!彼女は他にも興味深い話をたくさんしてくれ、数学者の卵の私たちは彼女の話をいくら聞いても聞き足りませんでした。

このような研究集会で様々な数学者や研究者と話すことが出来たのはとても参考にもなり励みにもなり、自分がやっていることを別の視点から見て再確認する機会にもなりました。黙々と一人で研究をしていると時には自信を失いかけたりすることもありますが、それは決して自分だけではないことに気づかされます。

もちろん異国での博士課程の学生の生活は楽なことばかりではありませんでした。現地の友達は定期的に帰省したり家族に会ったり出来るのに、私たち留学生たちが帰省出来るのは年に一回、場合によってはそれすら叶いませんでした。何かに行き詰まった時が特にきつく、数学をやっていると壁にぶつかり行き詰まることはまず避けられないことでした。でもそんな時には必ず誰かが手を差し伸べて元気付けてくれました。特に辛かった時には、数学科にいたボスニア人の教授の犬と散歩をさせてもらいました。一緒に散歩をしながらその子たちに自分の心配ごとを聞いてもらうだけで、未来が少し明るく見えてきたものです。

私の指導教員は私に大きな影響を与えてくれました。彼女が私にくれた数学についてだけではなく、人生についてのたくさんのアドバイス、そして一緒にした議論にはとても感謝しています。今でも彼女に研究集会などで再会出来ると本当に嬉しいです!世界中を飛び回っている先生で、私も彼女の下で学んでいた時には一緒に研究集会に参加するために、例えばカナダのトロントにあるフィールズインスティチュートや、同じくカナダのバンフでの数論を研究している女性向けの集会へ一緒に行く機会に恵まれました。

この先生は私のアメリカ滞在中にフランス、リオンの大学に移ってしまい、私も修士課程3年目の1学期間フランスへ行き彼女の元で再び学びました。久しぶりのフランスは懐かしくとても良かったです。

ユタで博士課程を始めた頃にはこんな私がどうやったら博士論文を書けるようになるのかと、とても不安でした。しかしなんとか書き終えることが出来、つい博士学位論文公聴会の日を迎えました。その時にはもう、数週間後に始まるドイツのレーゲンスブルク大学での研究員の仕事を得ていました。

散々海外で過ごした後、自分の国に戻ることはあまり容易ではありませんでした。もう自分がドイツ人だという感覚も薄れてきてしまっていました。大好きな村を出て人生の旅へ出発した時には気がつきませんでしたが、私はたくさんの物事を先入観を持って見ていました。様々な国からの人たちと触れ合い、色々な物の見方があることを知り、このことに気がつかされたのです。自分とは違う国の人たちとの交流は、色々な物の見方があっていいのだということに気がつかせてくれ、それまでの価値観さえ変えてしまい、さらに世の中にはまだまだ知らないことが多いことを思い知らせてくれます。

初めての研究員の職のためにドイツに戻ることで、自分の国を新たな視点から見る機会を与えられました。ここでもまだまだ数学以外にも学べることは多くあったのです! 私はとても恵まれていて、レーゲンスブルク大学にいる間、ヨーロッパの様々な場所で開催された研究集会やワークショップに参加する機会を与えられました。その中でも、私の指導教員の出身国であるポーランドへの旅はとても思い出深いものでした。ワルシャワでの研究集会に出席した際に、あの美しい街を先生に案内してもらえたのです。

今は、これからの1年を日本で過ごすことをとても楽しみにしています。最初の3ヶ月は刺激的で新しい感動で溢れていました。日本は私にとって初めてのアジアの国で、今まで経験したこととは全く違う国、及び体験を予想していました。しかし他の国に言えたことと全く同じことがここでも言えました…それは、実際に自分で体験してみるまではそこが本当はどのような場所なのかは分かることが出来ない、ということです。夢の中ですら想像出来ないようなことがすでにいくつもありましたし、これからもたくさんあることでしょう。私を心から歓迎してくれ、様々な困難を乗り越える手助けしてくれた皆さんに感謝しています! 

※2017年11月掲載。情報は記事執筆時に基づき、現在では異なる場合があります。

著者略歴

レーゲンスブルク大学 研究員、慶應義塾大学 訪問研究員
Veronika Ertl
あだ名:Vroni(フロニ)
数学の研究分野:数論幾何
数学以外の興味:器械体操、自然と動物、特に犬

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